二〇一四年、九月の三連休に穂高を縦走した。上高地から西穂山荘に上がり一泊。翌日、午前三時に小屋を出て奥穂高を目指した。
 春に蝶ヶ岳から残雪の穂高を眺めながら、今年こそあの稜線を歩こうと心に決めていた。危険ルートで単独ということもあり、出発直前になって山岳保険に加入した。縦走路を綿密に下調べしながらも、落石や滑落の際はそれまでだと腹をくくっていた。
……

歩こう歩こう 私は元気 
歩くの大好き どんどん行こう

切り立った岩場での緊張を和らげるため、トトロのさんぽを口ずさむ。
しかし、内心では山で死ぬということについて考えていた。
黙々と登っているときは無心に近いけれども、立ち止まり、稜線の風に吹かれていると、ふとそのようなことが頭を過ることがあった。
そのような想いは、それはそれで清々しいものだった。

午後一時、ガスで視界が遮られたジャンダルムの頂に立つ。
約十二時間かけて西穂山荘から奥穂高まで歩き切った。
安堵感と疲労でその場にしばらく座り込んだ。達成感は無かった。

山荘の混雑を避け、奥穂高の山頂付近にツエルトを張る。
夕暮れ時、ガスが晴れる。ゆっくりと波打つ雲海の中から、槍の穂先やジャンダルムが姿を現した。
神々しき穂高。青みを帯びた水墨画の中に居るようだ。

山頂には誰も居ない。風の音しか聞こえない。
もしかすると自分も居ないのかもしれない。
”則天去私”なんて言葉が頭に浮かぶ。
カメラを構えて、我に返る。
漱石のそんな境地にはまだなれない。

夜の闇と静寂に包まれながらも、寒くてなかなか寝付けず、iphoneで小林秀雄の講演集を聴いた。

「ぼくら死ねば霊魂が無くなるなんてそんなのんきな事みんな考えている。そんな古い考えはないです。それはやはりこの三百年来の科学っていうものの知識に化かされているんです。魂があるなんて、そんなわかりきった常識ですよ。
(中略)
人間が死ねば魂もなくなるっていう、そのたった一つの理由は肉体が滅びるっていう理由しかないじゃないか。それは肉体と魂が平行してなければ、その理由は十分な理由ではないじゃないか。」

「ぼくはぼくのおばあちゃんの魂信じてますよ、そんな事言わないのは馬鹿馬鹿しいからさ。だけど馬鹿馬鹿しいけども、おばあちゃんの魂っていうのはちゃんと、ぼくが思い出すんですからありますよ。ぼくはちょっとね、いろいろ苦しくなるとね、ああおばあちゃん助けてくれと言いますよ。言ったっていいじゃねえか。おばあちゃんの魂はぼくに見えるから。ぼくの記憶の中にあるんです、まざまざと。ああ、おばあちゃんが居るんだ。ぼくはちゃんとおばあちゃんを経験する事が出来ます。出来る以上は魂があるんです。それを魂って言うんですよ。魂なんかみんな諸君の中にあるんだよ。どっかにふらふらしてると思うからおかしいんです。そうじゃない。諸君はみんな自分の親しい人の魂を持って生きてますよ。思い出す時にはそら来ますよ、すぐ。それがたまです。昔の人が思ってた、たまです。今の人だって同じもんです、たまです。それは生活の苦労とおんなじくらい平凡な事ですよ。おんなじくらいそれは平凡な事で、おんなじくらいリアルな事です。」
ー小林秀雄講演「信じることと考えること」

聴きながら寝入る。
真夜中に、山頂の祠のほうへと向かってゆく子供達や老人達の楽しげな声を聞いた。
たぶん夢なのだろう。そう感じながらも、なぜか幸せな気分に包まれていた。

穂高で過ごした連休の後、数日間は心ここに在らずだった。
まるで肉体だけが下山してきて、魂はまだ穂高の山々を彷徨っているような、そんな状態だった。

…..

二週間後、御嶽が噴火した。
多くの方々の死は、同じ山を愛する者として
とても他人事とは思えなかった。

四年前に登ったことを思い出し、
自分のブログの記事を読み返してみた。

”午前零時から登る。
山頂を目指すヘッドランプの灯りがところどころ光り、死後のたましいが山へと昇ってゆくようにも見える。
わたしはあまりそういったことは信じない質だが、そういったことを信じてきた人間のイマジネーションには興味がある。
人間の、そのようなイマジネーションの痕跡が見たいが為に、山に登る。”
…..

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