雲海に浮かぶ尾根をひとりの女が登っている。
見渡すかぎりの青空で、陽の光をさえぎるものはなにもない。
上空から見るかぎり、女の足取りは軽やかだ。

 登る女のうしろ姿が見える。
つい先ほどまで降り続けた雨で、彼女の赤いレインウェアは濡れているが、山頂に着く頃には乾いてしまうだろう。追いつこうとするのだが、女はすいすい岩場を駆け上がってゆく。たしか、あの女にいちど追い越されたはずだ。降りしきる雨の中、登山口の駐車場を出発したのは、わたしの方が先だったと思う。追い越されたのはどこだろう。登り続けて、雲の上に出て、ふと見上げると、陽の光を浴びながら岩場をよじ登ってゆく女の姿が見えたのだ。

 濡れた鎖をしっかりと握り締めながら、ひと足ひと足慎重に登る。鎖の支点となっている左の岩陰に、ひとの気配がする。ぐいっと登り切ってそちらの方へ顔を向けてみると、岩に彫られた地蔵様がにっこり微笑んでいる。さきほどの女が地蔵様になってしまったのだろうか、それとも地蔵様のほうが女に化けていたのだろうか。どちらでもよいのだが、地蔵様は地蔵様なので、お賽銭をあげて、また登りはじめる。

 稜線に出ると、雲海の切れ間に、幾つかの頂が見えた。海も見える。雲海と、海の、さらに向こうには、島らしきものも見える。景色を眺めながらしばらく歩くと、山頂手前で女の姿が見えた。歩を緩めたのだろうか、そのうしろ姿はみるみる近くなる。レインウェアがすっかり乾いているのが、手に取るようにわかる。

 雲の上に浮かんだ山頂付近に立っているのは、ふたりだけだ。
空気は薄いが気分が良い、風も穏やかで、心地よい。女に、声を掛けてみた。
「すっかり晴れましたね、さっきまでの雨が嘘のようですね」
 女が無言で振り向いた。つぎの瞬間、わたしは、うわっと声をあげて尻餅をついた。振り返ったそのひとは、わたし自身の姿だったからだ…

 そこで眠りから覚めた。
声を掛けた気もするし、声を掛けられたような感覚も残っていた。梅雨の時期に鳥海山に登った、そのときの光景と印象が、夢となって現れたのだろう。
 空からの視点と、実際に登っていたときの視点が混じり合っている。まるで自分の撮影した写真の中を彷徨っているような夢だった。
 わたしの東北の山旅は、こんな奇妙な夢からはじまってゆく。


 

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